2025年4月号 5年ぶりの梅田

 

昨年9月、JR大阪駅の北に「大阪梅田北公園」GRAND GREEN OSAKA(グラングリーン大阪)が先行街びらきをしました。通称「うめきた」再開発第2期目玉の公園全体の完成は2027年ですが、今回は野外ステージや人が近づくと水が飛び上がる噴水、それらをとりまく半円の階段状の観覧席などのある南半分が完成し、公開されました。広さ4万5000㎞²は東京ドームと同じだそうです。駅と直結する都市型公園としては、世界最大規模のようです。いよいようめきたエリアの全貌が見えてきました。

噴水と野外ステージ

写真は公園の噴水、野外ステージを北西から眺めた景色です。午後3時を過ぎていましたが、多くの人が思い思いの時間を過ごしていました。緑が少ないといわれている大阪の、ましてや梅田に登場した都会のオアシスです。

GRAND GREEN OSAKAの多彩な取り組みの一つに「JAM BASE」というのがあります。何だろうと調べてみますと、「世界に類を見ないイノベーション・プラットフォームとありました。JAM BASEは、学生や企業家、多種多様な企業、大学・研究機関、行政、経済団体などが、立場も領域をこえて混ざり合い、イノベーションを生み出すことを目指す施設です。コワーキングスペースやレンタルオフィス、交流スペースなどの施設を有し、さまざまなプレイヤーがよりよい未来社会を共創するための活動を支援します。」とありました。どんな形、どのようなグループが、どのようなムーブメントを起こすのか、興味津々であります。

JR大阪駅からの眺め

ここは昔国鉄の貨物専用駅でした。昭和の初め国鉄大阪駅は地面と同じ高さでした。物流の発展とともに駅が手狭になり人と貨物の分離が必要となり、人を運ぶ線路が現在の高架駅に、貨物専用の駅が大阪駅と直角に建設されました。貨物駅には線路が20本、そして堂島川から「出入橋交差点」そして現在の「阪神高速梅田出入口」までつながる運河があったそうです。当時大阪駅の貨物取扱額は日本一でした。写真の大阪駅北の地図を見てください。貨物駅の広さが理解できると思います。中央部のグリーンの部分が今回公開された公園です。

黒い部分は工事中

1987年(昭和62年)に国鉄は民営化されて「JR」となって「国鉄清算事業団」が結成されました。清算事業団は梅田貨物駅・東京の汐留駅・埼玉の大宮操車場・名古屋の笹島駅などの整理を進め、周辺の街の開発と国鉄時代の赤字解消をすすめたのですが、その中で梅田貨物駅跡地の開発はなかなか進みませんでした。貨物取扱の代替え駅の候補地の市・地域住民との交渉が長引いたからでした。

2006年(平成18年)吹田に新貨物駅(吹田貨物ターミナル駅)が建設されることになり、それと同時に梅田貨物駅の跡地開発が本格化します。2013年(平成25年)にグランフロント大阪が完成しました。そして今回公開された「グラングリーン大阪」の工事がこの年に開始されたのです。

公園中央部

公園の南北の両端には新しいビル「北館」「南館」が完成目前で、いずれのビルにも低階層にはレストラン・商店、上階層はオフィスが入るそうです。

この開発工事の間に「人骨1500体発見」のニュースがあり「あのにぎやかな梅田で人骨?」と驚かされました。実は江戸時代、ここは大阪七墓のひとつ「梅田墓」だったのです。市の文化財協会の調査報告は『かなり規模の大きい墓地で、半分は丁寧に埋葬されているが、残りの半分には複数人がまとめて埋葬されている。コレラやはしかなどの流行期に亡くなった身元不明者がまとめて埋葬されたのではないか』としています。江戸時代には「七墓めぐり」という夏の楽しみがありました。花見や紅葉狩りと同じように、隣近所うちそろい鉦や太鼓をたたきながら近くの墓を訪ね歩いたそうです。寝苦しい暑さを忘れる行事だったのでしょうか。梅田墓地は七墓めぐりの筆頭に挙げられていた“墓の名所”だったといわれています。

公園西側から見るグランフロント

梅田周辺の近代化は1970年代から始まっています。1970年には桜橋に近い「第一ビル」が完成、1994年には駅の南西部にハービスOSAKAやホテルが、1976年には「丸ビル」(現在新丸ビル建設中)が、ヒルトンホテルが1986年、2001年(平成13年)大阪駅の北側の元国鉄本社ビルの跡地にヨドバシカメラが誘致されました。阪急百貨店と阪急梅田駅が新しくなったのが2012年(平成24年)、グランフロントの開業が2013年と開発が進められてきたのです。

今回開場した公園の西端にはおしゃれなブライダルサロンやノースタワー10~15Fにヒルトン系の高級ホテルが建てられています。

焼き肉屋出現!

公園の西側の道路沿いにこんな大きな看板が出ていました。「何でもあり」の大阪ですが、少し派手すぎるようで、公園の木々が茂り看板が見えにくくなることを祈るばかりです。

公園を一回りした後、大阪駅の裏通り(北側)も駅北の工事に伴って全く新しいきれいな道路に作り替えられています。昔ザ・シンフォニーホールのコンサートの終了後は大阪駅まで歩くのですが、阪神高速梅田出入口辺りあたりからは自然に急ぎ足になるような、さみしい通りだったことを思い出しました。今の通りにはそんな面影は全くありませんでした。これからは音楽会の後は、この道を通るのもよし、公園を通るのもよしとなりそうです。

きれいになった駅の裏通り

2023年3月JR大阪駅に新たな地下乗り場「うめきたエリア」が開業しました。新しい駅ができたのでなく、新たな地下列車ホームができたのです。それに伴って新改札「大阪駅うめきた地下口」が誕生したのです。これにより大阪駅から「はるか」「くろしお」などの特急に乗車でき、新大阪~久宝寺間で運行されている「おおさか東線」も乗り入れて利用できるようになりました。今のところ利用者は少ないようですが、2031年に開通予定の「地下鉄なにわ筋線」が開通すると人の流れががらりと変わりそうです。これに危機感を持っているのが「ミナミ」の繁華街です。関空からの客がナンバを素通りして梅田に行ってしまう恐れがあるからです。

ナンバの地元協議会は、大阪市の協力を仰ぎ、御堂筋を高島屋の前から難波まで御堂筋の歩道を拡張し高島屋の前を広場とすることを中心に街づくりを2016年(平成28年)から進めています。次回はその開発現場―心斎橋から難波―を歩いてみます。乞、ご期待!

(文と写真:天野郡寿   神戸大学名誉教授)