2026年10月号 環濠都市あたり

 

今日は「環濠都市遺跡」として知られている堺市の中心部を歩きます。

環濠の街は安土桃山時代に誕生し、南蛮貿易で栄えました。江戸時代に現在の南北3km、東西1km、縦横に整然とした道路のある街が誕生しました。江戸時代から明治へと時代は移りますが、環濠の街の姿は変わりませんでした。第二次世界大戦の空襲で焼かれた街に開発の手が入ったのは1960年代に入ってからでした。海が埋められ「工場地帯」が造成されました。東の濠は埋められて「阪神高速道路」に、北の濠は工場地帯へつながる道路となりました。かって交易船が出入りした堺の港は、大きな船は入港できなくなっているようです。

それでもこれから歩く堺は、環濠の大部分は昔の形が残っていて、見どころいっぱいの街のようです。南海線の堺駅からスタートしましょう。

東の濠跡地(土井川公園)

南海本線堺駅

南海線の堺駅は堺市内では一番古い駅です。明治の末は、大浜公園や遊興飲食店が沢山あって大変にぎやかな場所だったそうです。しかし公園の遊興施設が閉鎖され、堺市役所が堺東駅前に移転したため利用者が激減したのでした。南海本線が高架になったのは1985年(昭和60年)で、駅ビルは1997年(平成9年)に建てられました。堺駅の一日の乗者人員3万6千人(2024年の実績)で、南海線の駅の中では7番目です。ちなみに堺東駅は5万5千人で、4番目で、かなり差があります。

最初に尋ねるのは「堺事件」の事件現場です。堺駅から南に出て南蛮橋を渡り、運河沿いに港の方に歩くと、記念碑が立っています。ここで以下のような事件が起こったのでした。

堺事件の記念碑

1868年(慶応4年)3月8日、フランスの艦艇が堺港に停泊し、港の深さの測定を開始しました。フランス兵の何人かは陸にあがって、街の人と会話をする者がいたそうです。警備役の土佐藩の隊長は攘夷意識の強い人物でした。それはともかくとして堺が外国人の立ち入りが認められていることを知らなかったことが事件を引き起こしました。隊長は上陸を制止命令に従わないフランス水兵に対し、発砲を命じました。その結果、11名のフランス兵が命を落としたのです。事件は、それにかかわった人物の切腹と、明治政府が賠償金15万㌦を支払うことで決着しました。「隊長以外に切腹する者は神前でのくじ引きで決める」となり20名が選ばれました。クジでの選抜は戦国時代にもよく行われた儀礼だそうです。選ばれた者の多くは「下級武士の身に切腹が与えられるのは家の名誉」と受け止めたといいます。切腹した日本人は20歳後半で、死亡したフランス兵の多くは22、23歳で、20歳の兵もいたと記録されています。

明治の混乱に思いをはせながら、堺事件で切腹が行われた「妙国寺」に向かいましょう。

堺駅前からまっすぐ東に伸びている「大小路シンボルロード」を歩きます。この道の北側(左側)が摂津の国、南側(右側)が和泉の国でした。これが「サカイ」の地名の由来だそうです。しばらく行くと、中央部に電車の線路のある「紀州街道」(堺では大道筋と呼ばれているらしい)に出ます。ここを走る阪堺電車(正式名:阪堺電軌阪堺線)はにぎやかにペイントされています。新しいのやら古いのやら、車種も色々で、遠慮のない大きさの広告が書かれています。阪堺線は1909年(明治42年)、大阪市浪速区の「恵美須町」から堺市西区の「浜寺駅前」までの14㎞を結ぶ路面電車です。

阪堺線

阪堺電車の線路に沿って北に少し行くと「堺伝匠館」があります。ここで休憩を兼ねて、堺の特産品を見ながらしばらく休みましょう。

さていよいよ妙国寺です。この寺が開かれたのは1562年(永禄5年)と古いのですが、堺大空襲で焼失し現在の建物は1973年(昭和48年)に再建されたものです。寺の境内に入っても、処刑が行われた場所という恐怖感はみじんも感じませんでした。「明治は遠くなりにけり」でしょうか。

妙国寺とソテツ

妙国寺はソテツでも知られています。そのソテツにまつわる昔話があります。織田信長が寺のソテツを安土に持ち帰ったのですが、ソテツは安土に根付かず、毎夜毎夜「帰りたい」と泣いたそうです。怒った信長はソテツを切り刻み、寺に送り返します。名僧が弔いの経を読んだところ、何とソテツは元気を取り戻したのです。

ソテツは元来九州南部に育つ植物ですが、中には耐寒性のある種類もあるそうで、妙国寺のソテツは、きっと堺の地がピッタリの種類なのだと思われます。太平洋戦争の時の空襲も耐え抜いたソテツ、最近は「災害に強い、再生のシンボル」として人気があるそうです。

妙国寺から東に歩くと環濠を埋めて造られた土井川公園に出ます。公園の東を通る阪神高速道路は1965年着工、1970年に完成しました。環濠の堀川を利用することは用地買収の必要のないことに加えて、当時問題になっていた「河川の汚染」を解決する手段でもあったのです。環濠は暗渠となって地下に埋められ、細長い公園に作り替えられました。公園に並んでいる変わったデザインの4基の塔は、暗渠から匂いを放出する換気塔です。

地下運河の換気塔

半世紀前、環濠はゴミ捨て場となって悪臭を発生していました。行政だけではなく市民も環濠の水質改善に努めました。「堺のんびりクルー」が誕生したのは、1998年、カヌーで環濠の清掃がきっかけでした。ゴミ集めに使っている船を観光船に改良してはどうかというアイディアが生まれたのです。2005年にNPOが立ちあげられ、翌年に観光船を就航させたのです。乗船料大人1500円 小学生以下500円です。

環濠全部を巡行することはかないませんが、環濠の一部と堺港を50分かけて巡行します。水質は、時にはボラが跳ねるほどになっているそうです。

のんびりクルーズ

今日の街歩きはこの辺でオシマイ。ナンバに帰るので、高野線の堺東駅はすぐそこです。堺にはまだまだ訪れるところが残っています。先ほどのクルーズ船、利休と与謝野晶子にちなむ「利昌の杜」、港の近くにあるイルカにふれることのできる水族館、バルーンからの古墳見学など、歴史的な場所なら、明治の初期に堺県の県庁舎だった(これは堺の人ならみんな知っている歴史です)「本願寺堺別院」、「鉄砲鍛冶屋敷」など、そして食べ物では「ちくまの蕎麦」や「くるみ餅」もぜひ訪れて試してほしいものばかりです。

名物・くるみ餅

その「くるみ餅」ですが、今回の街歩きで「木の実の胡桃が入っているのではない」ことがわかりました。「犬も歩けば・・・」という諺をかみしめながら帰途についた次第です。

(文と写真:天野郡寿   神戸大学名誉教授)