2026年7月号 堺東駅あたり

 

今回は堺の街を歩きます。観光案内のパンフレットに「堺市全体を見渡せる最高の場所」と書かれている「市役所の21階展望台」に行きます。堺市役所は1990年11月に竣工され、地上21階、地下4階、南海高野線の堺東駅のすぐ前にあります。

堺市役所

市役所21階からは360度の眺望です。東は金剛山系、西にはかすかに明石大橋、北にアベノハルカス、南には仁徳天皇陵、反正天皇陵などの古墳が真下に見えます。ここではボランティアの案内人の解説を聞くのがおすすめです。建物や場所を指し示しながら、堺の街の歴史を解説してもらえます。

江戸時代に開削された大和川は、堺と大阪の流通を分断しただけでなく、大和川から海に流れる土砂が大浜の港を浅くし、大きな船は堺には停泊できなくなってしまいました。

明治新政府は新しい日本を作るために行政改革に手を付け、大坂を「大阪府」とし、堺・奈良・和泉の国をまとめて「堺県」としました。江戸時代には経済力が衰えていたとはいえ、堺は大和や泉南に大きな力を持っていたからです。堺は、1881年(明治14年)の廃藩置県の再検討で、その経済的な有効性から大阪府に取り込まれ「堺県」は消滅しました。1889年全国の31都市が「市制」を引くことになりましたが、堺は当然その中に名を連ねました。

新しい市政のもとで、堺市は、紡績や煉瓦産業を中心に阪神工業地帯の一角を占める経済都市となって、現在に至っています。

市役所から「シマノ自転車博物館」に向かいます。堺東駅の前を北に5分ぐらい行くと到着します。シマノは自転車の変速機製造では世界的に有名な会社で、世界のシェアーの90パーセントを握っているということです。変速機の技術を生かした魚釣り用リールなどのメーカーとしても知られています。

シマノ自転車博物館

展示物(ミショー型ベロシペート)

アシスト自転車

博物館は新しく心地の良い空間を作り出しています。まず1階には昔の自転車が並んでいます。ハリーポッターが乗っていたような自転車を見て、あまり自転車に興味のない人も楽しんでいるようです。ロンドンに滞在した夏目漱石が乗った自転車はと考えながら、退屈せずに館内を歩きました。自転車を工学的・歴史的に研究する人のための資料室とラボもあります。最後のコーナーには電機メーカーや自動車会社のアシスト自転車がずらりと並べられていました。

博物館の解説によると、シマノは、堺の鉄工所職人だった島野庄三郎氏が28歳で創業した会社で、1960年代後半に米国や欧州で起こった巨大スポーツサイクルブームが追い風となり急成長したのだそうです。

自転車をはじめとして、堺における金属の手工業の誕生と発展についての映像や解説は非常に妙味深く、気が付いたら1時間近く滞在していました。博物館の展示物もさることながら「65歳以上入場料ナシ」が最高のプレゼントでした。

博物館で豊かな時間を過ごした後「方違(ほうちがい)神社」に向かいます。古文授業で習った「方違え(かたたがえ)」の儀式を受け継いでいる神社です。

博物館を出て南海高野線の踏切を渡り東に5分ぐらい行くとそこが方違神社です。この神社は昔の摂津、河内、泉の三国の境に位置していているために「いずれの国にも属さないことは出発点でもあり終着点でもある、方位を持たない場所である」とされていました。昔は旅行や家の普請などの方角による吉祥は大変重要で、方角の悪い日には外出を取りやめたり、一度違う方角に行ってから行動を起こしたことはよく知られています。この神社はその方位の災いを解く神様なのです。明治維新、天皇が東京に遷都した時には、この神社で17日間の祈祷が行われた記録が残っています。方違え信仰は今日でも受け継がれていて、海外旅行や新築・転居などの安全を祈願する参拝者が訪れるそうです。

方違神社境内

本殿は2017年(平成29年)に建て替えられて新しく、神社の境内も知名度の割には広くありません。それでも厳かさ感じるのは、神社のすぐそばに反正天皇陵が控えているからでしょうか。

今日の街歩きはこれで終わりにしました。通りを歩く距離は短かったのですが、展望台や博物館でかなり歩いていたようです。

堺は、古墳という歴史的なモノがあり、シマノに代表される近代的な工業製品があり、古いしきたりに密着した神社がある、歴史と現代との調和の中にある街のようです。

(文と写真:天野郡寿   神戸大学名誉教授)