2026年1月号 高島屋からなんばPARKSまで
堺筋日本橋3丁目にある「高島屋東別館」の「高島屋資料館」からスタートします。
この資料館は1928年に松坂屋大阪店として建設され、1969年に高島屋が所有となった建物です。設計は鈴木禎次で建物全体は古典様式を基調にアールデコ調の装飾が取り入れられています。建設当時は木造で、1928年から部分的に鉄筋に建て替えられ、1937年に現在の形になりました。高島屋は当初家具などの展示販売をしていましたが、2021年建物が重要文化財に指定されたのをきっかけに、三階に部分を資料館に改装したのです。

高島屋東館(展示模型)
㈱高島屋は、江戸末期に京都で古着・木綿商を開業、その後大阪、フランス、東京に店舗を構え呉服屋・貿易商として企業展開し、みなさんご存じのように、今日では有名百貨店の一つとなっています。1898年に心斎橋筋に大阪店を開業、その後堺筋に移転しました。現在の南海線難波駅に百貨店を開いたのは1932年でした。新しく建て替えられた南海電鉄難波駅の駅ビルにキーテナントとして招かれたのです。当時の店名は「南海タカシマヤ」でした。阪急に代表されるターミナル百貨店は、電鉄経営が多いのですが高島屋は例外といえるのです。
資料館には「バラの笑顔の高島屋」のキャッチフレーズの(記憶のある人はかなりの年ですね)包装紙デザインやマスコット人形の変遷など高島屋の歴史が紹介されています。高島屋は呉服や美術品の取り扱いなどでも定評があるので、これからの資料館の展開が楽しみです。
資料館のある堺筋日本橋のこのあたりは、電器店街として知られていました。
「昔このあたり,表通りは電器屋、裏通りには『五階百貨店』というラジオの部品屋がありました。「その店のおっちゃんから色々おしえてもらった」とは大阪の古老の話です。実は私もラジオ小僧の一人だったのですが、そんな昔の雰囲気はなくなっていました。
「昔の光今いずこ」で、今は残念ながらシャッター街になってしまっています。しかし人通りは少なくありません。インバウンドの旅行者がアベノ、通天閣、黒門市場を行ったり来たりしているようです。
日本橋から「なんさん通り」を通り、途中にある道具屋筋商店街に入りましよう。素人さんお断りの店があったのは昔のこと。縁日かと思うぐらい人がいっぱい歩いていました。ここもやはり外国の人が多いようです。日本の包丁人気が高いからか、新装の包丁店が目立っていました。

なんばグランド花月
道具屋筋の北には1987年新築開業したなんばグランド花月があります。中から笑い声が聞こえてきそうです。とにかく、人が多く、左右の店の看板はカラフル過ぎて、私のような年寄りはゆっくり歩くことができませんでした。
「なんば広場」にでると思わず深呼吸しました。道具屋筋からここまで、身を固くして歩いていたようです。広場は、平日だからか、人出も少なくゆったりとしていました。
高島屋の建物に沿って進むと「なんばCITY」の入り口があります。「なんばCITY」は南海駅の高架下にできた新しいショッピングセンターです。ここは難波駅や高島屋の地下、そして地下鉄なんば駅に続いています。

なんばCITY入り口
「難波中2丁目」の交差点から南海線のガードをくぐると、今日の目的地「なんばPARKS」です。「なんばPARKS」はいくつかの高層ビルと南海電車の線路の間に建てられた棚田のような形の空中公園なのです。

「なんばPARKS」全景
「なんばPARKS」の全貌を見るために、高島屋の西側、なんば駅に直結しているの「なんばスカイオビル」の10階にあがりました。
このビルのオフィスロビーは、なんと10階にあるのです。窓から南方を覗くと、黄色い壁と緑の「なんばPARKS」が見えます。PARKSは、奥が一番高くなっていて、横から見るとなだらかな斜辺をもつ直角三角形の形をしているようです。うねうねした黄色の壁はグランドキャニオンを模したといわれています。壁の間の白い部分は、たぶんキャニオンの底を歩くというイメージだと思われます。これを見ても全体像はつかみにくいですね。「なんばPARKS」に行ってみましょう。

大阪球場のホームベース
なんばスカイオビル2階部分から、大相撲3月場所のある体育館の方からなんばPARKSの回廊にあがります。前方に緑の木立が見えますが、まず足元に注意してください。ホームベースとピッチャープレートが、かたどってあります。実はここは「南海ホークス」のホームグランドの「大阪スタジアム」があったが場所なのです。
大阪スタヂアムができたのは戦後の1950年でした。梅田の方も候補になったのですが、阪神の甲子園球場や阪急の西宮球場との競合を避けるために難波に決まったといわれています。 完成したスタンドは鉄筋コンクリート製でしたが、グランドは両翼84m、中堅115.8m(ちなみに東京ドームは両翼100m、中堅122m)と狭く、観客席は37度の急勾配だったそうです。かっての南海ホークスには杉浦、皆川などの名投手がいました。「狭い球場が彼らの制球力を高めた。ホームランを打たれないため技術を磨いたのだ」という説があるとかないとか。現役の野村克也の試合を何度か観に行きましたが、球場全体にヤジが反響していたという記憶があります。
1988年南海ホークスがダイエーに売却され、福岡に移ります。1988年と1989年には近鉄バッファローズの試合が行われ、1990年8月近鉄バッファローズ対オリックス戦を最後に、球場は閉じられました。
球場跡地はバブル崩壊もあって、しばらく手が付けられませんでした。市街地の空き地となった球場は住宅展示場、駐車場、劇団四季の「キャッツ」の劇場に使われていたそうです。
2003年、10年以上空き地だった元野球場に、複合商業スペース「なんばPARKS」が誕生したのでした。

なんばPARKS
なんばPARKSは現代的な場所です。あえて説明すると「並んでいるビルの2階部分を遊歩道でつないだプロムナード」と言えるかもしれませんが、全体の構造は一口では説明困難な建造物です。喫茶、レストラン、ブティックなどいろいろあって、散歩の前後にゆっくり時間をつぶす「お気に入りの店を見つけることで、より楽しめそうな場所」と言えそうです。
メインビルの屋上は木が植えられていて緑がいっぱいです。人工芝が敷かれている憩いの場所もあります。モデルを使った写真撮影、トランプで遊んでいる高校生グループなど、それぞれが楽しんでいます。ここはひょっとしたら「なんばの穴場」的な雰囲気の場所と言えるようです。南海ホークスの記念館があるのですが、展示は残念ながら昔の南海ファンを満足させるものではありませんでした。

なんばPARKS屋上

「SUMOSHOW」の看板
ソウルには「ナンタ」「武術ショー」など、夜を楽しむエンタテーメントが沢山あるのですが、大阪には同様の場所が見当たりません。歌舞伎や人形浄瑠璃、ましてや能などは敷居が高すぎます。最上階に誕生したこの「SUMOショー」劇場は外国人観光客にはぴったりの場所だと思います。相撲などの公演+弁当で 13,200円から。
今日の街歩きはここでおしまいです。屋上のイタリアンレストランで昼食。友人はビール、私はワインを楽しみました。都会の喧騒はここまでは届かないようです。
(文と写真:天野郡寿 神戸大学名誉教授)






































































