セイブプロセス株式会社

〒574-0056
大東市新田中町1-18
TEL 072-871-2251
FAX 072-871-7204
社長 加藤昌平

8年前の西部ゴム㈱の「まいどおおきに」に書かれているのですが、改めてお話しします。
創業者である加藤一男(現社長の祖父)が昭和22年7月に設立した寿ゴム産業㈱が原点です。一男は戦前、栗山護謨㈱に勤めており、会社が朝鮮出張所を開設する時に駐在員として朝鮮に渡りました。本人は終戦と同時に帰国しますが、栗山芳雄社長は囚われ、シベリア抑留の身となります。一男は仲間と共に栗山護謨の存続に尽力しました。その後、栗山さんが帰国後に独立し、寿ゴム産業㈱を設立しました。昭和22年に西部ゴム㈱に社名を変更しました。工業用品の販売ですが、当時の扱い商品の中心は、自転車のタイヤ・チューブなどだったようです。
周りは蓮根畑一面で、昭和40年西部ゴム㈱大東工場第一期工事が竣工し、東海ゴム工業 指定認定工場として操業を開始しました。

建築中の大東工場にて(左から二人目が祖父・一男  右端が父・公三)
周りは、一面の蓮根畑

その年に私(昌平)が兵庫県尼崎市で加藤公三(現取締役相談役)の長男として生まれました。
岡山での寮生活を送っていた高校時代、夏休みに大東工場で高圧ホースの耐圧検査・梱包・金具に刻印などのアルバイトをした思い出があります。昭和57年 西部ゴム㈱の工業用合成樹脂素材部が大東工場に併設されました。
一方私は、伊丹市にある家具製造メーカ-に就職し、家具を作る職人の道を歩み始めていました。
昭和63年、西部ゴム㈱大東工場より分離独立して資本金1000万円でセイブプロセス㈱が設立されました。初代社長は、西部ゴム㈱の常務取締役杉本繁氏が就任しました。扱い品目は、産業機械部品として使われる、合成樹脂の素材と二次加工品及び高圧ホース金具装着加工及び材料の卸売で、西部ゴム㈱が商社でセイブプロセス㈱は製造するという体制ができあがりました。
この初代社長杉本さんが私の人生を大きく変えた人になります。
20歳から家具製作の職人の道を歩んでいた私が26歳の時、現在の妻と職場恋愛し結婚したその結婚式で杉本さんが何の前触れもなく、「昌平をセイブプロセスに転職させてほしい」と宣言しました。私も驚くと同時に、働いていた職場の工場長や社長も大いに驚いたのですが、そのとおりになり、翌年その会社を退社し、セイブプロセス㈱に入社しました。一からのスタートで、職業訓練センターで旋盤、フライス盤の基礎を学び、福山工場へ単身赴任、その後 本社工場の生産チームに配属。30歳で本社工場のコーチ職(生産の責任者・営業業務兼務)に就任し、35歳で常務取締役(経営・営業責任者)に就任しました。平成16年39歳で社長に就任しました。
平成20年のリーマンショックで苦難の中、翌平成21年にISO9001の認証を取得し、高品質の維持と無駄のない生産体制を築いていきました。令和3年には、福山工場に設備を増設しました。 昨年は、本社工場の第二工場を拡張、設備計画を進めています。

基本理念は
   感謝する心で、社会に貢献していきます。
   協力し合える精神で、信頼を構築していきます。
   常時変革の意識を持ち、企業の継続を目指します。

基本理念とは別に、経営理念も定めています。長くなりますので要約すると

  「産業界のあらゆるニーズに対応すべく、高品質の維持と多様な製品アイテムの確保、
   スピーディーな出荷体制を心がけています」

 ※環境の変化や経済の過渡期を鑑み、現在の経営理念を再構築しています。

社員に任せることが出来ることです。社員の平均年齢は本社工場が42歳で福山工場が40歳 全体で41歳です。職責者の方々が意見を進言してくれます。業務の平準化やフレックスタイムの活用など社員の工夫・アイデアで新型コロナ禍で、人員不足の時でも生産性を落とすことがありませんでした。

 人と集うことが好きです。前職では、同僚達と野球チ―ムを発足し、練習や伊丹市の野球連盟で対外試合に勤しんでいました。
最近は、気の知れた同業のゴルフ仲間たち12名程でゴルフ合宿として今年の2月に沖縄、3月に久美浜(日本海)、6月に高知ヘ行きました。
次回は、福岡を予定しています。