美々卯 堺店

住所:堺市堺区中之町東1-1-12
☎:072-232-2059
営業時間:11:00~22:00
定休日:毎月第3火曜日

《レポーター》
 ムツボシ㈱ 副社長 田井 登

新型コロナウイルス感染症蔓延による外出自粛の影響で、7月号の当コラムは緊急事態対応として私・田井が担当いたしました。人情味のある路地裏に行くのを自粛されている善良な市民にとっては、辛い修行の日々をお過ごしのことと拝察いたします。
大阪・京都・兵庫の緊急事態が解除された直前の5月19日、東京美々卯6店舗の閉店のニュースが飛び込んできました。東京美々卯は、昭和48年に「美々卯」からのれん分けし、東京美々卯社員が経営陣に就任して経営していた会社で東京・神奈川・千葉の百貨店などで6店舗を展開していました。新型コロナウイルス感染の拡大でダメージを受け、閉店を決意したとのことです。美々卯本体の事業は今まで通り継続しています。
美々卯の歴史は、今から約250年前の料亭「耳卯楼」に遡ります。「みみう」って変なネーミングだと思いませんか。独自調査によれば、耳と卯をくっつけると「聊」という漢字になります。聊=楽しむという意味があり、「耳卯楼」=楽しい料亭ということです。
堺の魚問屋から始まり、かっては商業の中心であった泉州・堺から大正14年に大阪戎橋北詰に大衆蕎麦屋を始めたのが「美々卯」の始まりだそうです。
うどん=西日本 蕎麦=東日本 とするのは正しくないようです。江戸時代前期の江戸の市中では麺類としての蕎麦よりうどんのほうが人気があったようです。その後、信州から蕎麦きりが江戸に伝わり普及し蕎麦と蕎麦屋が独自の江戸食文化を育んだようです。近畿地方北部の蕎麦文化は、やはり江戸時代に信州から導入されたようです。
一方、うどんは諸説あるのですが、いずれも古く奈良時代から中国から伝搬し広く普及したようです。
話を元に戻します。そして今から100年前、昭和8年頃に今や大阪府の郷土料理となった「うどんすき」を美々卯が考案したそうです。讃岐国を除く西日本の大部分の地域では、腰が弱めでつゆを吸いやすい柔らかい麺が好まれています。「美々卯」のうどんも柔らかい麺です。
かしわやシイタケ、蒲鉾や玉子を土鍋で煮て食べる鍋焼きうどんと、中国のホーコー鍋にヒントを得て、蕎麦をしゃぶしゃぶ風に食べるという発想が生まれたきっかけだそうです。

〔うどんすきと鯖の押し寿司〕

〇月△日午後6時 酒も飲めない私が友人4人と美々卯堺店に入店。1Fで靴を預け、絨毯をふんでとんとんと2Fの個室へ。コロナ対策されて安全です。やがて掛のお兄さんが料理の支度をしてくれます。現在は、鍋にたっぷりのだし(メジカを中心に、ソウダ節や本節からだしを採り、塩と薄口醤油、ごく少量の味醂で上品に味付ける)を入れ、鶏肉、エビ、焼穴子、ハマグリ、ハクサイ、ひろうす、シイタケ、ニンジン、ミツバ、湯葉、蒲鉾、サトイモなどの季節の食材を、うどんと共にぐつぐつ煮ながら食べました。
同行の士は、日本酒に焼酎にと酒量をあげていました。さらに熱い鍋にピッタリの凍結酒も。搾りたての生酒を瞬間冷凍させたお酒で、冷たくシャリシャリしたお酒です。下戸の私も少し頂きました。
いろいろ付いたうどんすきコースは、お一人6200円。うどんすきだけならお一人3600円。「鍋焼きうどん」が手頃に食べられるうどんとしたら、美々卯の「うどんすき」は、ハレの日の食事の場として、家族や友人とワイワイ楽しく鍋を囲んで食べるうどんかと思います。

《レポーター》ムツボシ㈱ 副社長 田井 登